問われることのない罪の、時効をむかえるありかたもあって
といえるだろうか、
というか、環境を不安定にした範囲の社会をリカバリーすることでの、実質的なつぐない。そのことをいいたいのだが
きわめてむずかしいはなしだ
知識優位は、データを回収するパターンにつらぬかれる。モノであれヒトであれ
本質のない方法論というのは
イミテーションだろうか
それ自体としてパターン化、あるいはモチーフ化したような実体を、シルエットのように黒く塗りつぶすか透明なイメージに気取るかなども
名前というのは不思議なもので。不思議といっても語り口であり、説明的につづけるが、ヒトの場合、モノとしての名前でもあり存在としての名前でもある。
このことからの弊害もある。'ヒトをモノとみなすなんて'など。それはともかく、たしかに実体のない好き勝手なイメージとして誰かの名を呼ぶあり方はムザンなケースもある。
あるいはまた、存在の名前まで触れられる確かさがあることもある。
ひとりの臆病者のためにやってくのも、ときにわるくはない
"本質自体"
本質の把握は基本であり
応用へとてんじることができる、変容することも
モノであれ、変容と克服をできる実体験が、イノチにはある